日蓮は 日月の 御ためには・ をそらくは 大事の 御かたき なり、. 是れ 三摩地の法を 説くとは 自性 法身の 所説・ 秘密 真言の 三摩地の 行 是なり. 或は 十回向の 菩薩の 現身に 歓喜地を 証得 する 文にして. わずかの 日本国 なれども さがみ殿の うちの ものと 申すをば・. みょういちあまの おっとは、だいしょうにんが さど るざいちゅうに なくなった。 じかくだいし あんねんらの そくしんじょうぶつの ぎ なり. 将又 日月の 宮殿には 法華経と 大日経と 華厳経と をはすと・ けうしあわせて 御覧 候へ、. だい8に そくしんじょうぶつ けどうしょうと かかれて つぎしもに. (アシスタント) - 2019年12月31日 池上彰・増田ユリヤ解説! いかにも じゅんえん いちじつの きょうに あらずば そくしんじょうぶつは あるまじき どうり あり. 相伝と 申し 本身といひ 世間の 重んずる 事 日月の ごとし、. その英才教育の影響もあり、小学2年生時に、テレビ放送されていた映画『ゴジラvsモスラ』を偶々視聴し、単純にゴジラやモスラに対して「カッコいい、可愛い」という感情を持ったことである。 そのため、『OK! いかなる あっき なりとも よもしらぬ よしは もうさじと おぼすべし. 小学時代から故郷、秋田県のコンクールなどで優勝し、高校時代はセミプロとして活動したほどの腕前を持つ。
16こうぼうだいしの だいにちきょうを ほけきょう けごんきょうに すぐれたりと もうす しょうもん ありや. 尼は夫亡き後も強盛な信心を貫き、供養を欠かさなかった。
. 汝が 此の 義は・ いかにして・ をもひ いだし けるぞや、. この りょうにんは むいとうの さんぞうを しんずる ゆえに でんぎょうだいしの せいぎを もちいざるか. 鳥居は1774年の台風で倒れ、1778年に修復され現在の鳥居は1961年の第二室戸台風で再び倒壊し1962年に再建されたもの。
. 五百余人を 殺して 候いしに・ 仏 阿難を 霊山に つかはして. りょうほうの ぎ そういすと いえども なんじが ぎの ごとく すいか ならず. にゅうどうどのは こんじょうには いたく ほけきょうを ごしんよう ありとは みえ そうらわねども. やまいある ひと ほとけに なるべきよし とかれて そうろう. ダシを使ったまる鍋(すっぽん)を使ったお鍋も寒い時期にもほっこり出来るオススメ料理!。
いかに にちがつは ひかりを はなちて かれらが いただきを てらし. いかにも 純円 一実の 経に あらずば 即身成仏は・ あるまじき 道理 あり、. 「当に 知るべし 此の 文 成仏する 所の 人を 問うて 此の 経の 威勢を 顕すなり、. 妙一尼の夫は、大聖人が佐渡流罪中に亡くなった。 500よにんを ころして そうらいしに ほとけ あらかんを りょうぜんに つかわして. 師の 口より 伝うる 人 必ず あやまりなく 後に たづね・. でんぎょうだいしの りょうかいの しは じゅんぎょうわじょう. じかく ちしょうは ぜんむい こんごうち ふくうさんぞうの しゃくに たぼらかされて おわするか. しかのみならず しょうじきしゃほうべん ふじゅよきょういちげの きょうもんを. 今生に つくり をかせ 給ひし 小罪は すでに きへ 候いぬらん、 あくほうの だいあくは また ほけきょうに きしぬる ゆえに きえさせ たまうべし 謗法の 大悪は 又 法華経に 帰しぬる ゆへに・ きへさせ 給うべし. でんぎょうだいしの しゅうくと もうす ごもんに いっさいきょうに なき ことを 10 いだされて そうろうに. 「当に 知るべし 此の 文に 成仏する 所の 人を 問うて 此の 経の 威勢を 顕すなり」と 等 云云、 この しゃくの こころは そくしんじょうぶつは ただ ほけきょうに かぎる なり. 仏法の あぢわいを たがうる 人は 日月の 御力を うばう 人・ 一切衆生の 敵なり、. 「まさに しるべし このもんに じょうぶつする ところの ひとを とうて この きょうの いせいを あらわすなり」と とう うんぬん. 上の 提婆品の 我於海中の 経文を・ かき のせて あそばして 候、. とうて いわく こうぼうだいしの そくしんじょうぶつは しんごんに かぎること いずれの きょうもん いずれの ろんぶん ぞや. これらは その よの たから まつだいの くすしの し なり. 「当に 知るべし 他宗 所依の 経には 都て 即身入 無し. さらに、駐車場の奥の馬・羊柵・小屋の前にも停められるでしょう。 (外にオープンテラスまたは待合用?4席あり)) 個室 無 禁煙・喫煙 全席禁煙 駐車場 有 舗装が12台程度。
12さとして いわく この ろんは りゅうじゅ だいしょうの しょぞう せんぶの ろんの なかに ひぞう かんじんの ろん なり. 論を 本と せば 背上 向下の 科・ 依法 不依人の 仏説に 相違す。
ちゅううの みちに いかなる ことも いできたり そうらわば. かくだいしの ぎは ぶんだんの みを すつれば そくしんじょうぶつに あらずと おもわれたるが. なんじが しんじ まいらせたる こうぼうだいしの ぎを たすけよ. こうぼうだいしは みかどの がんぜんに そくしんじょうぶつを げんず. 伝教 弘法の 両大師 何れも・ をろかならねども 聖人は 偏頗なき ゆへに・. ひとえに にちがつの おんこころを いれさせ たまいて ほうぜさせ たまうか. なんじは ぼんぷ なり こうぼうだいしは 3じの ぼさつ なり. かの 3だいしの みでしらが ほけきょうを ひぼう するは. これ また かくしょうの りょうだいし にほんにして きょうだいしを しんずと いえども. いまの ぜんしゅう ねんぶつしゅう りっしゅう しんごんし なり. 「能化 所化 倶に 歴劫 無く 妙法 経力 即身成仏 す」等 云云、. ぶっぽうの あじわいを たがうる ひとは にちがつの おんちからを うばう ひと いっさいしゅじょうの かたきなり. 「ほけきょうを しんずる ひとは ふゆの ごとし ふゆは かならず はると なる」のごもんがしるされている。
らじゅうには げんしょう あり ふくうには げんしょう なし. この しゃくは ぼだいしんろんの ゆいの じを もちいずと みえて そうろう. ごんだいじょうが じつだいじょうを くだし じつだいじょうが ごんだいじょうに ちからを あわせ.。
あきらめたる 人 をろそか ならば 経文を すてて 四依の 菩薩に つくべきか、. 「ただ しんごん ほうの なか のみ ないし しょきょうの なかに おいて かいて しるさず」うんぬん. 『垣花正 あなたとハッピー! 身は 其の 山に 住すれども・ いつわりて ありし なり。 異例の入社約3カ月で冠番組を持つ新行アナは、6歳から始めたエレクトーンが特技。 ないし まさに しるべし たしゅう しょえの きょうには すべて そくしんにゅう なし」とう うんぬん. だいにちきょう こんごうちょうきょうとうの しんごんきょうには その ひと なし. 伝教大師の 秀句と 申す 御文に 一切経に なき 事を 十 いだされて 候に・. しゃくの こころは いかに ひと もうすとも そくしんじょうぶつの ひとなくば もちゆべからずと かかせ たまえり. 「のうけ しょけ ともに りゃっこう なし みょうほう きょうりき そくしんじょうぶつす」とう うんぬん. にほんこくに 6しゅう しちしゅう はっしゅう あり いずれの しゅうに そくしんじょうぶつを たつるや. ほっけてんだいしゅうは りひみつの そくしんじょうぶつ しんごんしゅうは じりぐみつの そくしんじょうぶつと うんぬん. もしもしロボ調査[Wiki ウィキ 情報] 新行市佳 人物 小学生時代から音楽に勤しみ、小学校1年時の1998年から、エレクトーンを習得し始め、ヤマハ音楽振興会主催のヤマハエレクトーンコンクールにて、セミプロとして、2006仙台エリアオーディションに出場していた。
11日月は 仏法を なめて 威光 勢力を 増し 給うと 見へて 候、. にちれんは にちがつの おんためには おそらくは だいじの おんかたき なり. 求めて 云く 慈覚大師は 伝教大師に 値い 奉りて 習い 相伝 せり・. あるいは しんごんの ぎょうじゃの げんしんに 5つうを うるの もん. 又 云く「此の 身を 捨てずして 神境通を 逮得し 大空位に 遊歩して 身秘密を 成す」文、. そのため、小学生時代はエレクトーンの練習に明け暮れ、同級生との会話に付いて行くためにラジオの音楽番組を視聴するようになった。
この 病の こうずる ゆへに 四海の つわもの ただいま 来りなば. これらに さるの こを いぬに あずけ ねずみの こを ねこに たぶように. これらの きょうもんは だいにちきょう こんごうちょうきょうの もん なり. 仏と 申せし 人は これには にるべくも なき いみじき くすし なり、. にちれんは にちがつ たいしゃく ぼんのうを かとうどと せん. 各 五智 無際智を 具す 円鏡力の 故に 実の 覚智なり」等 云云、. まなこ こそ あだあだしく そうらえ まなこ こそ あだあだしく 候へ。
いかなる 悪鬼 なりとも よもしらぬ よしは 申さじと おぼすべし、. 「当に 知るべし 此の 文は 成仏する 所の 人を 問うて 此の経の 威勢を 顕すなり」と・ かかれて 候は、. 入道殿は 今生には いたく 法華経を 御信用 ありとは 見え 候はねども・. とうて いわく この りょうだいし しょりゅうの ぎ すいかなり いずれを しんぜんや. その後、大学卒業時に卒論テーマをゴジラにしたと紹介している。
いまの にほんこくの ひとは ひとりも なく ごくだいじゅうびょう あり. これ すなわち ひとを しんじて ほうを すてたる ひとびと なり. 無かった場合はページ更新のみされます。 京都烏丸からほど近く。 観光や出張での一人飲み、 サクッと一杯飲みに来るアットホームさも当店のウリです 普段のお食事や宴会、接待はもちろん、ランチにもお気軽にご利用ください。
「まさに しるべし この もんは じょうぶつする ところの ひとを とうて このきょうの いせいを あらわすなり」と かかれて そうろうは. ぼだいしんろんを もちいざるは りゅうじゅを もちいざるか. しかりと いえども きょうもんは あるいは だいにちにょらいの じょうしょうがくの もん. 一分 即入すと 雖も 八地 已上に 推して 凡夫身を 許さず. 答えて 云く 弘法大師の 二教論に 菩提心論を 引いて 云く. みは その やまに じゅうすれども いつわりて ありし なり. こうぼう じかく ちしょう あんねんの ぎと にちれんが ぎとは いずれが すぐれて そうろう. また、中学時代は吹奏楽部でコントラバスも担当しており、進路では音大進学を目論んでいたが、結果的に音大進学を断念することとなった。
. 「六大 無礙にして 常に 瑜伽なり 四種の 曼荼 各 離れず. あえて そくしんじょうぶつの ぎを しらざる ひとびと なり. にちれんが ぎ もし 100 せんに ひとつも どうり かないて そうらわば. 実は、一番人気のお席はカウンター席なんです。
とうて いわく 問うて 云く にほんこくに いまだ かく しょう ねんとうを はしたる ひとを きかず いかん 日本国に いまだ 覚・ 証・ 然等を 破したる 人を きかず 如何、 こたえて いわく. 「唯 真言法の 中 のみ 乃至 諸教の 中に 於て 闕いて 書さず」云云、. ただし ほけきょうを しんじ そうろう ことは いちえんぶだい だいいちの しょうにん なり. こたえて いわく こうぼうだいしの 2きょうろんに いわく. 「6だい むげにして つねに ゆがなり 4しゅの まんだ おのおの はなれず. こたえて いわく こうぼうだいしの 2きょうろんに ぼだいしんろんを ひいて いわく. しゃか たほう じっぽうの しょぶつの おんくびを きらんと する ひと ぞかし. こんじょうに つくり おかせ たまいし しょうざいは すでに きえ そうらいぬらん. b 建治元年(1275年)5月、日蓮大聖人 54歳の御時、妙一尼御前に与えられた御書。
. 慈覚・ 智証は 善無畏・ 金剛智・ 不空三蔵の 釈に たぼらかされて・ をはするか、. こたえて いわく こうぼうだいし その しょうもんを いだして いわく. しかも・ この 五字をば 閻浮提人病之良薬と こそ・ とかれて 候へ。 日月に あらずとも 地神も 海神も・ きかれよ 日本の 守護神も・きかるべし、. ただし なんだちが ようなる ものは ものを いわずば つまりぬと おもうべし. おのおの 5ち むさいちを ぐす えんきょうりきの ゆえに じつの かくちなり」とう うんぬん. これらは その 世の たから 末代の くすしの 師 なり、. あるいは 10えこうの ぼさつの げんしんに かんきじを しょうとく する もんにして. でんぎょうだいしの こころは ただ ほけきょうに かぎり こうぼうだいしの こころは ただ しんごんに かぎれり. いかに 日本国の 一切衆生の 無眼の 報を へ 候はんをば 不便とは をぼせ 候はぬぞ。
その りに まけて ありとも その こころ ひるがえらずば. 蓮華と 申す 花は かかる いみじき 徳 ある 花 にて 候へば. あわしがき ふたかご なすび いっこ たまい そうらい おわんぬ. 三密 加持 すれば 速疾に 顕る 重重にして 帝網の 如くなるを 即身と 名く、. なんじが この ぎは いかにして おもい いだし けるぞや. 「ぼだいしんろんに いわく ただ しんごん ほうの なかに そくしんじょうぶつ する. おっとが いまに いきていたら、だいしょうにんの さどるざいが しゃめんに なったことを どれだけ よろこばれたであろうかと しのばれ、さいごに、みのぶまで ごくようを とどけた みょういちあま ごぜんの しんじんを ほめられている。 入社3カ月で冠番組を持ち、気合が入るニッポン放送の新行市佳アナウンサー=東京・大手町 4月にニッポン放送に入社した新行市佳(しんぎょう・いちか)アナウンサー(22)が、6日から初レギュラー番組「新行市佳の新ネタ 一番ノリ!」(月曜後6・30)をスタートさせる。
. ただ おそらくは やくしゃの こくえ しじょうの こころ なり. 伝教大師の 意は 唯 法華経に 限り 弘法大師の 意は 唯 真言に 限れり. 此の 釈を 背きて 覚大師の 事理倶密の 大日経の 即身成仏を 用ゆべきか。
はるりおうと もうせし あくおう ほとけの したしき にょにん. 此れ 又 覚証の 両大師・ 日本にして 教大師を 信ずと いへども、. また、アニメも好きなため、自身のスマートフォンに『ジョジョの奇妙な冒険 黄金の風』の主人公である、ジョルノ・ジョバァーナのストラップを装着していた。
にちがつは ひとりにて おわせども してんげの いっさいしゅじょうの まなこ なり いのち なり. 汝 不肖の 身として・ いかんが 此の 悪義を 存ずるや 是 二、. れんげと もうす はなは かかる いみじき とく ある はな にて そうらえば. いちぶん そくにゅうすと いえども 8じ いじょうに おして ぼんぷしんを ゆるさず. および へんげしんとうの しょせつの ほう もろもろの けんきょう なり. 「まさに しるべし たしゅう しょえの きょうには すべて そくしんにゅう なし. ふくうさんぞうは だいにちにょらい 6だいの みでし なり. わかれの おしき ゆえに かみを そり そでを すみに そめぬ. 釈の 心は・ いかに 人 申すとも 即身成仏の 人なくば 用ゆべからずと・ かかせ 給へり、. あきらめたる ひと おろそか ならば きょうもんを すてて 4えの ぼさつに つくべきか. いかでか じっぽうの ほとけも あわれませ たまわざるべき. 覚大師の 義は 分段の 身を すつれば 即身成仏に あらずと・ をもはれたるが・. にゅうどうどのは えんぶだいの うち にほんこくの ひと なり. ただし 法華経を 信じ 候 事は 一閻浮提 第一の 聖人 なり、. サンケイスポーツの取材に「周りの方に助けていただきながら、ぶつかっていきたい。 また きょうもんを みるに けん たん たい たいの むね ふんみょう なり. ステージで培った度胸を生かしたいです」と初々しく意気込んだ。
わずかの にほんこく なれども さがみどのの うちの ものと もうすをば. こたえて いわく あっくを はき あくしんを おこさば なんじに おいては このぎ もうすまじ. ほけきょうの そくしんじょうぶつの ようを もうす よう なれども. 問うて 云く 此の 両大師 所立の 義・ 水火なり 何れを 信ぜんや、. かみの だいばほんの がおかいちゅうの きょうもんを かき のせて あそばして そうろう. 石清水八幡宮摂末社の三女神社(さんじょ、さんみょうしんしゃ)は宗像三女神、多紀理毘売命(たぎりびめ)、市寸島姫命(いちきしまひめ)、多岐津比売命(たぎつひめ))を祀っており、平安時代1042年に宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請されたともいわれている。
じかく ちしょう あんねんの 3しは でんぎょうの やまに すむと いえども その ぎは こうぼう とうじの こころ なり. なんじ いまだ ちょくせんを うけざれば だいしに あらず. げんじょう はっせんらの ぎを しんじて こころには きょうだいしの ぎを すて. ほとけと もうせし ひとは これには にるべきも なき いみじき くすし なり. 同局の番組やイベントを紹介する情報番組になる。
また いわく「われ もとより ふしょう なるを さとる」もん. なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるを しんじんとは もうし そうろうなり. 但し 汝等が やうなる 者は 物を いはずば・ つまりぬと をもうべし、. てんだいほっけしゅうのみ つぶさに そくにゅうの ぎ あり」うんぬん. 元政・ 法全等の 義を 信じて 心には 教大師の 義を すて、. いかに にほんこくの いっさいしゅじょうの むげんの むくいを え そうらわんをば ふびんとは おぼせ そうらわぬぞ. shingyou ichika 新行市佳さんはロコンを探しているのかも知れない!. 又 経文を 見るに 兼・ 但・ 対・ 帯の 旨 分明 なり、. 「のうけ しょけ ともに りゃっこう なく みょうほう きょうりき そくしんじょうぶつ す」とう うんぬん. 出汁に重きを置き、丁寧にじっくりと仕込むお料理の数々をご提供する「酒菜食房いち」 たん熊で修行を重ねた店主が作り出す繊細な味とは裏腹に、豪快に盛られたお料理は、見た目も味も虜になる美味しさ。
南無妙法蓮華経と 唱へ たてまつるを 信心とは 申し 候なり、. 悪口・ 悪心を もて・ をもうに 経文には 即身成仏 無きか、. かんのんきょう 観音経 せそんみょうそうぐ がこんじゅうもんぴ 世尊妙相具 我今重問彼 ぶっしがいんねん みょういかんぜおん 佛子何因縁 名為観世音 ぐそくみょうそうそん げとうむじんに 具足妙相尊 偈答無盡意 にょうちょうかんのんぎょう ぜんのうしょほうしょ 汝聴観音行 善應諸方所 ぐぜいじんにょかい りゃくこうふしぎ 弘誓深如海 歴劫不思議 じたせんのくぶつ ほつだいしょうじょうがん 侍多千億佛 発大清淨願 がいにょりゃくせつ もんみょうきゅうけんしん 我為汝略説 聞名及見身 しんねんふくうか のうめつしょうく 心念不空過 能滅諸有苦 けしこうがいい すいらくだいかきょう 假使興害意 推落大火坑 ねんぴかんのんりき かきょうへんじょうち 念彼観音力 火坑變成池 わくひょうるごかい りゅうごしょきなん 或漂流巨海 龍魚諸鬼難 ねんぴかんのんりき はろうふのうもつ 念彼観音力 波浪不能没 わくざいしゅみぶ いにんしょすいだ 或在須弥峯 為人所推墮 ねんぴかんのんりき にょにちこくうじゅう 念彼観音力 如日虚空住 わくひあくにんちく だらくこんごうせん 或被悪人逐 堕落金剛山 ねんぴかんのんりき ふのうそんいちもう 念彼観音力 不能損一毛 わくちおんぞくにょう かくしゅうとうかがい 或値怨賊繞 各執刀加害 ねんぴかんのんりき げんそくきじしん 念彼観音力 咸即起慈心 わくそうおうなんく りんぎょうよくじゅうしゅう 或遭王難苦 臨刑欲寿終 ねんぴかんのんりき とうじんだんだんね 念彼観音力 刀尋段段壊 わくしゅうきんかさ しゅそくひちゅうかい 或囚禁枷鎖 手足被柱械 ねんぴかんのんりき しゃくねんとくげだつ 念彼観音力 釋然得解脱 じゅそしょどくやく しょよくがいしんじゃ 呪詛諸毒薬 所欲害身者 ねんぴかんのんりき げんじゃくおほんにん 念彼観音力 還著於本人 わくぐうあくらせつ どくりゅうしょきとう 或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 ねんぴかんのんりき じしつぶかんがい 念彼観音力 時悉不敢害 にゃくあくじゅういにょう りげそうかふ 若悪獣圍繞 利牙爪可怖 ねんぴかんのんりき しつそうむへんぼう 念彼観音力 疾走無邊方 ぐゎんじゃきゅうふくかつ けどくえんかねん 玩蛇及蝮蠍 気毒煙火燃 ねんぴかんのんりき じんじょうじえこ 念彼観音力 尋聲自回去 らんらいくせいでん ごうばくじゅだいう 雲雷皷掣電 降雹 大雨 ねんぴかんのんりき おうじとくしょうさん 念彼観音力 應時得消散 しゅうじょうひこんにゃく むりょうくひつしん 衆生被困厄 無量苦逼身 かんのんみょうちりき のうくせけんく 観音妙智力 能救世間苦 ぐそくじんつうりき こうしゅうちほうべん 具足神通力 廣修智方便 じっぽうしょこくど むせつふげんしん 十方諸國土 無刹不現身 しゅじゅしょあくしゅ じごくきちくしょう 種種諸悪趣 地獄鬼畜生 しょうろうびょうしく いぜんしつりょうめつ 生老病死苦 以漸悉令滅 しんかんしょうじょうかん こうだいちえかん 真観清淨観 廣大智慧観 ひかんきゅうじかん じょうがんじょうせんごう 悲観及慈観 常願常譫仰 むくしょうじょうこう えにちはしょあん 無垢清淨光 慧日破諸闇 のうぶくさいふうか ふみょうしょうせけん 能伏災風火 普明照世間 ひたいかいらいしん じいみょうだいうん 悲體戒雷震 慈意妙大雲 じゅかんろほうう めつじょぼんのうえん 甘露法雨 滅除煩悩焔 じょうじょうきょうかんじょ ふいぐんじんちゅう 諍訟経官處 怖畏軍陣中 ねんぴかんのんりき しゅうおんしったいさん 念彼観音力 衆怨悉退散 みょうおんかんぜおん ぼんのんかいちょうおん 妙音観世音 梵音海潮音 しょうひせけんのん ぜこしゅじょうねん 勝彼世間音 是故須常念 ねんねんもつしょうぎ かんぜおんしょうじょう 念念勿生疑 観世音淨聖 おくのうしやく のういさえこ 於苦悩死厄 能為作依怙 ぐいっさいくどく じげんじしゅうじょう 具一切功徳 慈眼視衆生 ふくじゅかいむりょう ぜこおうちょうらい 福聚海無量 是故應頂礼 にじじぼさ そくじゅうざき 爾時持地菩薩 即從座起 ぜんびゃくぶつごん せそん にゃくうしゅうじょう 前白佛言 世尊 若有衆生 もんぜかんぜおんぼさほん じざいしごう 聞是観世音菩薩品 自在之業 ふもんじげん じんつうりきしゃ 普門示現 神通力者 とうちぜにん 當知是人 くどくふしょうぶつせつぜふもんぼんじ 功徳不少佛説是普門品時 しゅうじゅうはちまんしせんしゅうじょう 衆中 八萬四千衆生 かいはつむとうどう 皆發無等等 あのくたらさんみゃくさんぼだいしん 阿耨多羅三藐三菩提心. かの ひとびとの そくしんじょうぶつは うみょうむじつの そくしんじょうぶつ なり. また いわく「この みを すてずして しんきょうつうを たいとくし だいくういに ゆうほして しんひみつを じょうす」もん. もとめて いわく かく しょうとうは この ことを しらざるか. わかれの をしき ゆへに かみを そり・ そでを すみに そめぬ、. やくしゃを もちいざれば ほけきょうの らじゅうをも もちゆ べからざるか. 問うて 云く 弘法大師の 即身成仏は 真言に 限ること 何れの 経文 何れの 論文 ぞや、. こんごうちょう 10まんじゅの きょうとうと いう これなり」. 演奏活動の経験を生かす仕事にも意欲的で、「将来、出演番組のジングル(番組の節目ごとに流れる音楽)を作ってみたいです」とほほえんだ。
15こうぼう とうとしと いえども しゃか たほう じっぽう ぶんしんの しょぶつに そむく. 訳者を 用いざれば 法華経の 羅什をも 用ゆ 可からざるか、. 「法華経を 信ずる 人は 冬の ごとし 冬は 必ず 春と なる」の御文が記されている。
いうべし あくしんを おこさんよりも あっくを なさんよりも. ロケーション 隠れ家レストラン、一軒家レストラン お子様連れ 子供可 初投稿者 最近の編集者• 答えて 云く 悪口を はき 悪心を をこさば 汝に をいては 此の義 申すまじ、. 乃至 当に 知るべし 他宗 所依の 経には 都て 即身入 無し」等 云云、. 此の 釈は 菩提心論の 唯の 字を 用いずと 見へて 候、. でんぎょう こうぼうの りょうだいし いずれも おろかならねども しょうにんは へんぱなき ゆえに. 慈覚・ 智証・ 安然の 三師は 伝教の 山に 栖むと いへども 其の 義は 弘法 東寺の 心 なり、. 「この 3まいを しゅする ものは げんに ぶつぼだいを あらわす」もん. こたえて いわく こうぼうだいしは りゅうじゅぼさつの ぼだいしんろんに よるなり. 諭して 曰く 此の 論は 竜樹 大聖の 所造 千部の 論の 中に秘蔵・ 肝心の 論 なり. また いっさいの やまいの なかには 5ぎゃくざいと いっせんだいと ほうぼうをこそ. 又 一切の 病の 中には 五逆罪と 一闡提と 謗法を こそ. これ 3まじの ほうを とくとは じしょう ほっしんの しょせつ ひみつ しんごんの 3まじの ぎょう これなり. 答えて 云く 弘法大師は 竜樹菩薩の 菩提心論に 依るなり、. かの 3ぶきょうに いんと しんごんと あるに ばかされて. あっく あくしんを もて おもうに きょうもんには そくしんじょうぶつ なきか. おんぎくでん なんみょうほうれんげきょう おんぎくでんに いわく なむとは ぼんご なり ここには きみょうと いう にんぽう これ あり ひととは しゃくそんに きみょうし たてまつるなり ほうとは ほけきょうに きみょうし たてまつるなり また きと いうは しゃくもん ふへんしんにょの りに きする なり みょうとは ほんもん ずいえんしんにょの ちに もとずく なり きみょうとは なんみょうほうれんげきょう これなり しゃくに いわく ずいえんふへん いちねんじゃくしょうと また きとは われらが しきほう なり みょうとは われらが しんぽう なり しきしんふに なるを いちごくと いうなり しゃくに いわく いちごくに きせしむ ゆえに ぶつじょうと いうと また いわく なんみょうほうれんげきょうの なむ とは ぼんご みょうほうれんげきょうは かんご なり ぼんかん ぐじに なんみょうほうれんげきょうと いうなり また いわく ぼんごには サダルマ フンダリキャ ソタランと いう ここには みょうほうれんげきょうと いうなり サは みょう なり ダルマは ほう なり フンダリキャは れんげ なり ソタランは きょう なり 9じは 9そんの ぶったい なり 9かい そく ぶっかいの ひょうじ なり みょうとは ほっしょう なり ほうとは むみょう なり むみょう ほっしょう いったい なるを みょうほうと いうなり れんげとは いんがの 2ほう なり これ また いんが いったい なり きょうとは いっさいしゅじょうの ごんご おんじょうを きょうと いうなり しゃくに いわく こえ ぶつじを なす これを なづけて きょうと なすと あるいは さんぜじょうごう なるを きょうと いうなり ほっしょうは みょうほう なり ほうかいは れんげ なり ほうかいは きょう なり れんげとは 8ようくそんの ぶったい なり よくよく これを おもうべし いじょう (中略) おんぎくでん かん じょう にちれん しょりゅう じょほん より ゆじゅっぽんに いたる じょほん 7この だいじ だい1 にょぜがもんの こと もんぐの 1に いわく にょぜとは しょもんの ほったいを あぐ がもんとは のうじの ひと なり きの 1に いわく ゆえに しと まつと いっきょうを しょもんの たいと なす おんぎくでんに いわく しょもんの もんは みょうじ そく なり ほったいとは なんみょうほうれんげきょう なり のうじとは のうの じ これを おもうべし つぎに きの 1の こ しまつ いっきょうの しゃくは しとは じょほん なり まつとは ふげんぼん なり ほったいとは こころと いうこと なり ほうとは しょほう なり しょほうの こころと いうこと なり しょほうの こころとは みょうほうれんげきょう なり でんぎょう いわく ほけきょうを ほむると いえども かえって ほっけの こころを ころすと しの じに こころを とどめて これを あんずべし ふしんの ひとは にょせがもんの もんには あらず ほけきょうの ぎょうじゃは にょぜの たいを きく ひとと いう べきなり ここを もって もんくの 1に いわく 「にょぜとは しんじゅんの じ なり しんは すなわち しょもんの り えし じゅんは すなわち ししの みち じょうず」と しょせん にちれん とうの たぐいを もって にょぜがもんの ものと いう べきなり うんぬん だい2 あにゃきょうじんにょの こと じょの 1に いわく きょうじんにょは せい なり ここには かきと ほんず ばらもんしゅ なり この さき ひに こと こう これに したがって ぞくに なずく ひに 2ぎ あり しょう なり しょう なり しょうは すなわち やみ しょうぜず しょうは すなわち もの しょうぜず ここには ふしょうを もって せいと なす おんぎくでんに いわく ひとは ほっしょうの ちか なり ひの 2ぎとは 1の しょうは ずいえんしんにょの ち なり 1の しょうは ふへんしんにょの り なり しょうしょうの 2じは ほんじゃく 2もん なり さて ひの のうさ としては しょうしょうの 2とくを そなうる なんみょうほうれんげきょう なり いま にちれん とうの たぐい なんみょうほんれんげきょうと となえ たてまつるは しょうじの やみを てらし はらして ねはんの ちか みょうりょう なり しょうじそく ねはんと かいかく するを しょうそくあんふしょうとは いうなり ぼんのうの たきぎを やいて ぼだいの えか げんぜん するなり ぼんのうそくぼだいと かいかく するを しょうそくもつふしょう とは いうなり ここを もって これを あんずるに じんにょは われら ほけきょうの ぎょうじゃの ぼんのうそくぼだい しょうじそくねはんを あらわしたり うんぬん だい3 あじゃせおうの こと もんぐの いちに いわく あじゃせおうとは みしょうおんと なづく また いわく だいきょうに いわく あじゃせとは みしょうおんと なづく また いわく だいきょうに いわく あじゃを ふしょうと なづく せとは おんと なづく おんぎくでんに いわく にほんこくの いっさいしゅじょうは あじゃせおう なり すでに しょぶつの ちちを ころし ほけきょうの ははを がいする なり むりょうぎきょうに いわく しょぶつの こくおうと この きょうの ふじんと わごうして ともに この ぼさつの こを うむ ほうぼうの ひと いまは ははの たいないに しょし ながら ほけきょうの おんてき たり あに みしょうおんに あらずや その うえ にほんこく とうせいは さんるいの ごうてき なり せしゃみょうおんの よじに こころを とどめて これを あんずべし にちれん とうの たぐい この じゅうざいを のがれたり ほうぼうの ひとびと ほけきょうを しんじ しゃくそんに きし たてまつらば なんぞ いぜんの しふ しもの じゅうざい めっせざらんや ただし ふぼ なりとも ほけきょう ふしんの もの ならば さつがい すべきか その ゆえは ごんきょうの あいを なす はは ほうべん しんじつを あきらめざる ちちをば さつがい すべしと みえたり よって もんぐの 2に いわく 「かんげは とんあいの はは むみょうの ちち これを がいする ゆえに ぎゃくと しょうす ぎゃく そく じゅん なり ひどうを ぎょうじて ぶつどうに つうたつす」 と かんげとは まっぽう とう こんは だいもくの かんげ なるべし ことして ふぼを さつがい するは ぎゃく なり しかりと いえども ほけきょう ふしんの ふぼを ころしては じゅんと なるなり ここを もって ぎゃく そく ぜじゅんと しゃくせり いま にちれん とうの たぐいは あじゃせおう なり その ゆえは なんみょうほうれんげきょうの つるぎを とって とんあい むみょうの ふぼを がいして きょうしゅ しゃくそんの ごとく ぶっしんを かんとく するなり とんあいの ははとは かんじほん さんるいの なか だいいちの ぞくしゅう なり むみょうの ちちとは だい2 だい3の そう なり うんぬん だい4 ぶつしょごねんの こと もんぐの 3に いわく ぶっしょごねんとは むりょうぎ しょは これ ほとけの しょうとくし たもう ところ この ゆえに にょらいの ごねんし たもう ところなり しもの もんに ぶつじじゅうだいじょうと いえり かいじ せんと ほっすと いえども しゅじょうの こんどん なれば ひさしく これの ようを もくして いそぎて すみやかに とき たまわず ゆえに ごねんと いう きの 3に いわく むかし いまだ とかず ゆえに これを なづけて ごと なす ほうに やくし きに やくして みな ごねん する ゆえに ないし き なお いまだ ほっせず かくして とかず ゆえに ごねんと いう ないし みせつを もっての ゆえに ごし みちょうを もっての ゆえに ねんず くねんと いうは むかし より いまに いたる なり しよう とうの こころ これを おもうて しるべし おんぎくでんに いわく この ごねんの たいに おいては ほんじゃく 2もん しゅだいの 5じ なり この ごねんに おいて しちしゅの ごねん これあり 1には ときに やくし 2には きに やくし 3には ひとに やくし 4には ほんじゃくに やくし 5には しきしんに やくし 6には ほったいに やくし 7には しんじんに やくする なり うんぬん いま にちれん とうの たぐいは ごねんの たいを ひろむる なり 1に ときに やくするとは ほとけ ほけきょうを しじゅうよねんの あいだ いまだ とき いたらざるが ゆえに ごねん したもう なり 2にきに やくするとは はほうふしん こついおさんあくどうの ゆえに ぜん しじゅうよねんの あいだに いまだ これを とかざる なり 3に ひとに やくするとは しゃりほつに たいして とかんが ためなり 4に ほんじゃくに やくするとは ごを もって ほんと なし ねんを もって しゃくと なす 5に しきしんに やくするとは ごを もって しきと なし ねんを もって しんと なす 6に ほったいに やくするとは ほったいとは ほんぬじょうじゅう なり いっさいしゅじょうの じひしん これなり 7に しんじんに やくするとは しんじんを もって ごねんの もとと なすなり いわゆる にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるは しかしながら ごねんの たいを ひらく なり ご とは ぶっけん なり ねんとは ぶっち なり この ちけんの 2じ ほんじゃく りょうもん なり ぶっちを みょうと いうなり ぶっけんを ほうと いうなり この ちけんの たいを しゅぎょう するを れんげと いうなり いんがの たい なり いんがの げんごは きょう なり しかのみならず ほけきょうの ぎょうじゃをば さんぜの しょぶつ ごねん したもうなり ふげんぼんに いわく いっしゃいしょぶつごねんと ごねん とは みょうほうれんげきょう なり しょぶつの ほけきょうの ぎょうじゃを ごねん したもうは みょうほうれんげきょうを ごねん したもうなり きほういちどう ごねんいったい なり きの 3の しゃくに やくほうやくき かいごねんこと いうは この こころ なり また もんぐの 3に いわく 「ぶっしょごねんとは まえの ちどうずいを けつじょう するなり ちどうは 6ばんはあくを ひょうする なり ほけきょうを じゅじ するものは 6ばんはあく うたがい なきなり じんりきほんに いわく 「おがめつどご おうじゅじしきょう ぜにんおぶつどう けつじょうむうぎ」 ぶつじじゅうだいじょうとは これなり また 1ぎに ほとけの しゅじょうを ごねん したもう ことは ごとは ゆいがいちにん のういくご ねんとは まいじさぜんねん これなり ふげんぼんに いたって いっしゃいしょぶつごねんと とくなり にちれんは しょうねん 32 より なんみょうほうれんげきょうを ごねん するなり だい5 げし あびじごくの こと おんぎくでんに いわく じっかいかいじょうの もん なり だいばが じょうぶつ この もんにて ふんみょう なり ほうとうほんの つぎに だいばが じょうぶつを とく ことは 2この かんぎょうの ぶん なり だいばは この もんの とき じょうぶつ せり この しの じは びゃくごうの いく ことなり びゃくごうの こうみょうは なんみょうほうれんげきょう なり じょうしあかにだてんは くうたい げしあびじごくは けたい びゃくごうの ひかりは ちゅうどう なり これに よって じっかい どうじの じょうぶつ なり てんのうぶつとは ほうごうを おくるまで なり さて えしょう にほうの じょうぶつの ときは この ほんの げしあびじごくの もんは えほうの じょうぶつを とき だいばだったの てんのうにょらいは しょうほうの じょうぶつを とく えほう しょうほう ともに みょうほうの じょうぶつ なり いま にちれん とうの たぐい しょうりょうを とぶらう とき ほけきょうを どくじゅし なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる とき だいもくの ひかり むけんに いたりて そくしんじょうぶつ せしむ えこうの もん これより こと おこるなり ほっけ ふしんの ひとは だざい むけん なれども だいもくの ひかりを もって こうし ほっけの ぎょうじゃとして とぶらわんに あに この ぎに かわるべしや されば げしあびじごくの もんは ほとけ ひかりを はなちて だいばを じょうぶつ せしめんが ためなりと にちれん すいちし たてまつるなり だい6 どうしが この こと しょに いわく まことに おもんみれば せっぽう にゅうじょうして よく ひとを みちびく すでに どうしと しょうす おんぎくでんに いわく この どうしは しゃくそんの おんこと なり せっぽうとは むりょうぎきょう にゅうじょうとは むりょうぎしょさんまいに いり たもう ことなり いわゆる どうしに おいて ふたつ あり あくの どうし ぜんの どうし これ あるなり あくの どうしとは ほうねん こうぼう ちしょう とう なり ぜんの どうしとは てんだい でんぎょう とう これなり まっぽうに いっては いま にちれん とうの たぐいは ぜんの どうし なり せっぽうとは なんみょうほうれんげきょう にゅうじょうとは ほっけ じゅじの けつじょうしんに いる ことなり のうどうおにんの のうの じに こころを とどめて これを あんずべし ゆじゅっぽんの しょうどうししと おなじ ことなり しょせん にほんこくの いっさいしゅじょうを みちびかんが ために せっぽう する ひと これなり うんぬん だい7 てんくじねんみょうの こと しょに いわく てんくじねんみょうは むもんじせつを ひょうする なり おんぎくでんに いわく この もんは しど たどの ずい おなじき ことを じゅして ちょうしゅつ せり むもんじせつとは しゃかにょらい みょうほうれんげきょうを むもんじせつ したもうなり いま にちれんとうの たぐいは むもんじせつ なり ねんぶつむけん ぜんてんま しんごんぼうこく りつこくぞくと さけぶ ことは むもんじせつ なり さんるいの ごうてき きたる ことは この ゆえなり てんくとは なんみょうほうれんげきょう なり じねんとは むしょうげ なり みょうとは となうる ところの おんじょう なり いちぎに いっさいしゅじょうの ごげん おんじょうを じざいに いだすは むもんじせつ なり じせつとは ごくそつの ざいにんを かしゃく する こえ がき ききんの おんじょう とう いっさいしゅじょうの とんじんちの ねんねん とうを じせつとは いうなり この おんじょうの たいとは なんみょうほうれんげきょう なり ほんじゃく りょうもん みょうほうれんげきょうの 5じは てんく なり てんとは だいいちぎてん なり じせつとは じじゅゆうの せっぽう なり きの 3に いわく むもんじせつを ひょうする とは ほうべんの はじめに さんまい より たって しゃりほつに つげ ひろく たんじ りゃくして たんず しど たど ことばに よせ ことばを ぜっす もしは きょう もしは ち これ すなわち いっきょうの こんぽん 5じの ようしん なり この こと かるからずと このしゃくに いっさいの こんげん 5じの ようしんとは なんみょうほうれんげきょう これなり うんぬん ほうべんぽん 8この だいじ だい 1ほうべんぼんの こと もんぐの 3に いわく ほうとは ひ なり べんとは みょう なり みょうに ほうに たっするに すなわち これ しんの ひ なり ないえりの むげの たまを てんずるに おうの ちょうじょうの ゆいいつ しゅ あると 2 なく べつ なし かくさの ひとを さすに これ ちょうじゃの こにして また 2なく べつ なし かくのごときの ことばは ぜひぜみょう なり きょうの ゆいがちぜそう じゅつぽうぶつやくねん ししふっしゅせつ がほうみみょうなんしの ごとし ゆえに ひを もって ほうを しゃくし みょうを もって べんを しゃくす まさしく これ いまの ほんの こころ なり ゆえに ほうべんぼんと いうなり きの 3に いわく だい3に ひみょうに やくして しゃくするとは みょうを もっての ゆえに そく なり えんを もって そくと なし 3を もって ふそくと なす ゆえに さらに ふそくに たいして もって そくを しゃくす おんぎくでんに いわく この しゃくの なかに いっしゅとは えりしゅ そく ちょうじょうしゅ なり かくさに ひとと ちょうじゃの こと まったく ふどう これ なし いわゆる ほうぼう ふしんの ひとは たいげの ごんにして ほうゆうのうつうの 2しゅの ほうべん なり ここを もって むに むべつに あらざる なり いま にちれんとうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるは これ ひみょうほうべんにして たいない なり ゆえに みょうほうれんげきょうと だいして つぎに ほうべんぼんと いえり みょうらくの きの 3の しゃくに ほんしょの そくぜしんぴの そくをいえんいそくと しょうしゃく せり そくは えん なれば ほけきょうの べつめい なり そくとは ぼんぷ そく ごく しょほうじっそうの ほとけ なり えんとは いちねんさんぜん なり そくと えんと ことばは かわれども みょうの べつめい なり いっさいしゅじょう じっそうの ほとけ なれば みょう なり ふしぎ なり ほうぼうの ひと いま これを しらざる ゆえに これを ひ という また いわく ほうかい 3000を ひみつ とは いうなり ひ とは きびしき なり 3000られつ なり これより ほかに ふしぎ これなし だいほうぼうの ひとたりと いうとも みょうほうれんげきょうを じゅじし たてまつる ところを みょうほうれんげきょう ほうべんぼんとは いうなり いま まっぽうに いって まさしく にちれん とうの たぐいの ことなり みょうほうれんげきょうの たいないに にぜんの にんぽうを いるを みょうほうれんげきょう ほうべんぼんとは いうなり これを そくしんじょうぶつとも にょぜほんまつくきょうとうとも とく また ほうべんとは じっかいの ことなり または むみょう なり みょうほうれんげきょうは じっかいの ちょうじょう なり または ほっしょう なり ぼんのう そく ぼだい しょうじ そく ねはん これなり いえんいそくとは いちねん3000 なり みょうと そくとは おなじ ものなり いちじの いちねん3000と いうことは えんと みょうとを いうなり えんとは しょほうじっそう なり えんとは しゃくに いわく えんを えんゆう えんまんに なづくと えんゆうは しゃくもん えんまんは ほんもん なり または しかんの 2ほう なり または われらが しきしんの 2ほう なり いちじの いちねん3000とは えしんりゅうの ひぞう なり くにがまえは いちねん なり かずは 3000 なり いちねん3000とは ふしぎと いうこと なり この みょうは ぜん3きょうに いまだ これを とかず ゆえに ひと いうなり ゆえに しんぬ なんみょうほうれんげきょうは いっしんの ほうべん なり みょうほうれんげきょうは くしき なり じっかいは はっしき いげ なり こころを とどめて これを あんずべし ほうとは そく じっぽう じっぽうは そく じっかい なり べんとは ふしぎと いうこと なり うんぬん だい2 しょぶつちえ じんじんむりょう ごちえもんの こと もんぐの 3に いわく まず じつを たんじ つぎに ごんを たんず じつ とは しょぶつの ちえ なり さんしゅの けたの ごんじつに あらず ゆえに しょぶつと いう じぎょうの じつを あらわす ゆえに ちえと いう この ちえの たい すなわち いっしんの さんち なり じんじんむりょうとは すなわち しょうたんの じ なり ほとけの じっちの たてに にょりの そこに てっする ことを あかすゆえに じんじんと いう よこに ほうかいの へんを きわむ ゆえに むりょうと いう むりょうじんじんにして たてに たかく よこに ひろし たとえば ね ふかければ すなわち えだ しげく みなもと とおければすなわち ながれ ながきが ごとし じっち すでに しかり ごんち れいして しかり うんぬん ごちえもんは すなわち これ ごんちを たんずる なり けだし これ じぎょうの どうぜんの ほうべん しんしゅの ちから あり ゆえに なづけて もんと なす もん より いって どうちゅうに いたる どうちゅうを じつと しょうし どうぜんを ごんと いうなり なんげなんにゅうとは ごんを たんずるの じ なり ふもうにして りょうし むほうの だいゆう あり しちしゅの ほうべん しきたく すること あたわず じゅうじゅうに はじめて げす じっちを にゅうと なす しょと ごを あぐ ちゅうげんの なんじ なんごは しるべし しかるに べっして しょうもん えんかくの しょふのうちを あぐることは しゅう おもきが ゆえに べっして これを はする のみ きの 3に いわく じゅこうおうこうとは ちゅうに おいて ほっぴごう あり これを もって ごを れいす いま じつを しゃくするに すでに ことごとく おうじゅを きわめたり しもに ごんを しゃくするに り じんごく なるべし しもに まさに ごんを しゃくすべし あらかじめ その そうを じゅっす ゆえに うんぬんと ちゅうす ごちえもんとは ごとは すなわち さきの じっかの いんちを さす もしち えそく もん ならば もんは これ ごん なり もし ちえの もん ならば ち すなわち か なり けだし これらとは この なかに すべからく じっちを もって どうぜんと なし みょうかくを どうちゅうと なし しょうごを どうごと なすべし ゆえに しんぬ もんの こころは いんの くらいに ありと おんぎくでんに いわく この ほんまつの こころ ふんみょう なり なかに たてに たかく よこに ひろし とは たては ほんもん なり よこは しゃくもん なり ねとは そうもく なり そうもくは うえへ のぼる これは しゃくもんの こころ なり みなもととは ほんもん なり みなもとは みず なり みずは しもへ くだる これは ほんもんの こころ なり えだ しげしとは しゃくもん 14ほん なり ながれ ながしとは ほんもん 14ほん なり ちえとは いっしんの さんち なり もんとは この ちえの いる ところの のうにゅうの もん なり さんちの たいとは なんみょうほうれんげきょう なり もんとは しんじんの ことなり ここを もって だい2の まきに いしんとくにゅうと いう にゅうと もんとは これ おなじき なり いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつるを ちえとは いうなり ひゆほんに いわく「ゆいういちもん」と もんに おいて うもん くうもん やくうやくくうもん ひうひくうもん あるなり うもんは しょう なり くうもんは し なり やくうやくうもんは しょうじいちねん なり ひうひくうもんは しょうに あらず しに あらず うもんは だいもくの もじ なり くうもんは この 5じに ばんぽうを ぐそくして いっぽうに とどこうらざる ぎ なり やくうやくうもんは 5じに ぐそく する ほんじゃく なり ひうひくうもんは いちぶの こころ なり この ないしょうは ほっけ いぜんの にじょうの ちえの およばざる ところなり もんぐの 3に いわく 「しちしゅの ほうべん しきたく すること あたわず」 と いま にちれん とうの たぐいは この ちえに とくにゅう するなり よって げじゅに じょしょぼさつしゅう しんりきけんごしゃと いうは われら ぎょうじゃの ことを とく なり うんぬん だい3 ゆいい いちだいいんねんの こと もんぐの 4に いわく 1は すなわち いちじっそう なり 5に あらず 3に あらず 7に あらず 9に あらず ゆえに 1と いうなり その しょう こうばくにして 5 3 7 9 より はくし ゆえに なづけて だいと なす しょぶつ しゅっせの ぎしき なり ゆえに なづけて じと なす しゅじょうに この き あって ほとけを かんず ゆえに なづけて いんと なす ほとけ きを うけて しかも おうず ゆえに なづけて えんと なす これを しゅっせの ほんいと なす おんぎくでんに いわく 1とは ほけきょう なり だいとは けごん なり じとは ちゅうかんのさんまい なり ほっけ いぜんにも 3たい あれども くだけたる たまは たからに あらざるが ごとし うんぬん また いわく 1とは みょう なり だいとは ほう なり じとは れんなり いんとは け なり えんとは きょう なり うんぬん また いわく われらが こうべは みょう なり のどは ほう なり むねは れん なり はらは け なり あしは きょう なり この 5しゃくの み みょうほうれんげきょうの 5じ なり この だいじを しゃかにょらい 40よねんの あいだ おんみつ したもう なり こんきょうのとき とき いだし たもう この だいじを とかんが ために ほとけは しゅっせ したもう われらが いっしんの みょうほう 5じ なりと かいぶつちけん するとき そくしんじょうぶつ するなり かいとは しんじんの いみょう なり しんじんを もって みょうほうを となえ たてまつらば やがて かいぶつちけん するなり しかる あいだ しんじんを ひらく とき なんみょうほうれんげきょうとしめすを じぶっちけんと いうなり しめす ときに りょうぜん じょうどの じゅうしょと さとり そくしんじょうぶつと さとるを ごぶっちけんと いうなり さとる とうたい じきしどうじょう なるを にゅうぶっちけんと いうなり しかる あいだ しんじんの かいぶつちけんを もって しょういと せり にゅうぶつちけんの にゅうの じは しゃくもんの こころは じっそうの りないに きにゅう するを にゅうと いうなり ほんもんの こころは り そく ほんがくと いるなり いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ほどの ものは ほうとうに いる なり うんぬん また いわく かいぶっちけんの ほとけとは 9かいしょぐの ぶっかい なり ちけんとは みょうほうの 2じ しかんの 2じ じゃくしょうの 2とく しょうじの 2ほう なり しきしん いんが なり いわゆる ちけんとは みょうほう なり 9かいしょぐの ぶっしんを ほけきょうの ちけんにて ひらく ことなり ここを もって これを おもうに ほとけとは 9かいの しゅじょうの ことなり この かいかく あらわれて こんじん より ぶっしんに いたるまで たもつや いなやと しめす ところが みょうほうを しめす じぶっちけんと いうなり してい かんのうして うけとる とき にょがとうむいと さとるを ごぶっちけんと いうなり さとって みれば ほうかい3000の ここの とうたい ほけきょう なり この ないしょうに いるを にゅうぶっちけんと いうなり ひすべし うんぬん また いわく しぶっちけんとは はっそう なり かいとは せいの そう なり にゅうとは しの そう なり ちゅうかんの じごは 6そう なり げてんたくたい とうは じぶっちけん なり しゅっけごうま じょうどうてんぽうりん とうは ごぶっちけん なり ごんきょうの こころは しょうじを おんり する きょう なるが ゆえに しぶっちけんに あらざるなり こんきょうの とき しょうじの 2ほうは いっしんの みょうゆう うむの 2どうは ほんがくの しんとくと かいかく するを しぶっちけんと いうなり しぶっちけんを もって 3ぜの しょぶつは いちだいじと おぼしめし よに しゅっげん したもうなり この かいぶっちけんの ほけきょうを ほうねんは しゃへいかくほうと いい こうぼうだいしは だい3の れつ けろんの ほうと ののしれり 5ぶつどうどうの したを きる ものに あらずや じかくだいし ちしょう とうは あくしに つるぎを あたえて わが おやの こうべを きらする ものに あらずや うんぬん また いわく 1とは ちゅうたい だいとは くうたい じとは けたい なり この えんゆうの さんたいは なにものぞ いわゆる なんみょうほうれんげきょう なり この 5じ にちれん しゅっせの ほんかい なり これを なづけて じと なす にほんこくの いっさいしゅじょうの なかに にちれんが でし だんなとなる ひとは しゅじょうに この き あって ほとけを かんず ゆえに なづけて いんと なす ひと なり それが ために ほけきょうの ごくりを ひろめたるは きを うけて おうずる ゆえに なづけて えんと なすに あらずや いんは げしゅ なり えんは 3 5の しゅくえんに きするなり じのいちねん3000は にちれんが みに あたりての だいじ なり 1 とは いちねん だい とは 3000 なり この 3000 ときたるは じの いんえん なり じ とは しゅじょうせけん いんとは 5おんせけん えんとは こくどせけん なり こくどせけんの えんとは なんえんぶだいは みょうほうれんげきょうを ひろむべき ほんえんの くに なり きょうに いわく 「えんぶだいの うちに ひろく るふ せしめて だんぜつ せざらしめん」 これなり うんぬん だい4 ごじょくの こと もんぐの 4に いわく こうじょくは べつの たい なし こうは これ ちょうじ せつなは これ たんじ なり しゅじょうじょは べつの てい なし けんまんかほうを とる ぼうのうじょくは 5どんしを さして たいと なし けんじょくは 5りしを さして たいと なし みょうじょくは れんじしきしんを さして たいと なす おんぎくでんに いわく にちれんとうの たぐいは この 5じょくを はなるる なり がしどあんのん なれば こうじょくに あらず じっそうむさの ぶっしん なれば しゅじょうじょくに あらず ぼんのうそくぼだい しょうじそくねはんの みょうし なれば ぼんのうじょくに あらず 500じんてんこう より むしほんぬの み なれば みょうじょくに あらざるなり しょうじきしゃほうべん たんせつむじょうどうの ぎょうじゃ なれば けんじょくに あらざるなり いわゆる なんみょうほうれんげきょうを さかいとして おこる ところの5じょく なれば にほんこくの いっさいしゅじょう 5じょくの しょうい なり されば もんぐ 4に いわく 「そうとは しじょくぞうぎゃくにして この ときに しゅざい せり しんに ぞうぎゃくにして とうひょう おこり とんよく ぞうぎゃくにして きが おこり ぐちぞうぎゃくにして しつえき おこり 3やく おこるが ゆえに ぼんのう ますます さかんに しょけん うたた さかんなり」 きょうに にょらい げんざい ゆたおんしつ きょうめつどごと いう これなり ほけきょう ふしんの ものを もって 5じょく そうじゅうの ものとす きょうに いわく 「ごじょくの あくせには ただ しょよくに ぎょうじゃく せるを もって かくの ごとき とうの しゅじょうは ついに ぶつどうを もとめず」 うんぬん ぶつどうとは ほけきょうの べつめい なり てんだい いわく 「ぶつどうとは べっして こんきょうと なす」と だい5 びく びくに うえぞうじょうまん うばそくがまんうばい ふしんの こと もんぐの 4に いわく じょうまんと がまんと ふしんと ししゅう つうじて あり ただし しゅっけの にしゅうは おおく みちを しゅうし ぜんを えてあやまって しょうかと いい ひとえに じょうまんを おこす ざいぞくは こうこうにして おおく がまんを おこす にょにんは ち あさくして おおく じゃへきを しょうず みずから その とがを みずとは さんしっしんを おおう きずを かくし とくを あげて みずから かえりみること あたわざるは これ むざんの ひと なり もし みずから とがを みれば これ うしゅうの そう なり きの 4に いわく きずを かくす とうとは さんしつを しゃくする なり きずを かくし とくを あぐは じょうまんを しゃくす みずから かえりみること あたわざるは がまんを しゃくす むざんの ひととは ふしんを しゃくす もし みずから とがを みるは かの さんしつ なし いまだ かを しょうせずと いえども しばらく うしゅうと なづく おんぎくでんに いわく これ ほんまつの しゃくの こころは 5000の じょうまんを しゃくする なり くわしくは ほんまつを みる べきなり びく びくにの 2にんは しゅっけ なり ともに ぞうじょうまんと なづく きずを かくして とくを あぐるを もって ほんと せり うばそくは おとこ なり がまんを もって ほんと せり うばいは にょにん なり むざんを もって ほんと せり この ししゅうは いま にほんこくに さかんなり きょうには そのかず 5000ありと あれども にほんこくに 49おく9万4828人と みえたり ざいせには 5000にん ほとけの ざを たてり いま まっぽうにては にほんこくの いっさいしゅじょう ことごとく にちれんが しょざを たてり びく びくに ぞうじょうまんとは どうりゅう りょうかん とうに あらずや また かまくらじゅうの びくに とうに あらずや うばそくとは さいみょうじ うばいとは じょうげの にょにんに あらずや あえて わが とがを しる べからざるなり いま にちれんとうの たぐいを ひぼうして あくみょうを たつ あに みずから その とがを みずの ものに あらずや だいほうぼうの ざいにん なり ほっけの ござを たつ こと うたがいなき ものなり しかりと いえども にちれんに あうこと これ しかしながら らいぶつにたいの ぎ なり この らいぶつにたいは きょうせんの ぎ なり まったく しんげの らいたいに あらざるなり これらの しゅうは かいに おいて けつろ ありの ものなり もんぐの 4に いわく 「おかいうけつろとは りつぎ とが あるをば けつと なづけ じょうぐどうぐ とが あるをば ろと なづく」と この 5000の じょうまんとは われら しょぐの 5じゅうの ぼんのう なり いま ほけきょうに あい たてまつる とき まん そく ほうかいと ひらきて らいぶつにたい するを ぶついとくここと いうなり ほとけとは われら しょぐの ぶっかい なり いとくとは なんみょうほうれんげきょう なり こことは にこふこの こころ なり ふげんぼんの さらいにここれを おもうべき なり また いわく 5000の たいざと いうこと ほっけの こころは ふたいざ なり その ゆえは しょほうじっそう りゃっかいさんけんいちの かいご なり さて そのときは がまん ぞうじょうまんとは まん そく ほうかいと ひらきて ほんぬの まんき たり そのかず 5000ありとは わが ごじゅうの ぼんのう なり もし また ごじゅうの ぼうのう なしと いうは ほっけの こころを うしない たり ごじゅうの ぼんのう ありながら ほんぬじょうじゅうぞと いうとき そのかず 5000ありと とく なり だんわくに とりあわず そのまま ほんぬ みょうほうの ごじゅうと みれば みずから その とがを みずと いうなり さて かいに おいて けつろ ありとは しょうじょう ごんきょうの たいじしゅうびょうの かいほうにては なきなり ぜみょうじかいの みょうほう なり ゆえに けつろの とうたい そのまま ぜみょうじかいの たい なり しかるに けつろを そのまま ほんぬと だんずる ゆえに ごしゃくごかしとは とく なり もとより いちじょうの みょうかい なれば いちじんがんほうかい いちねんへんじっぽう する ゆえに ぜしょうちいしゅつと いうなり そうこうとは じんじん ほうほう ほんがくの さんじん なり ゆえに すくなき ふくとくの とうたいも ほんがく むさの かくたい なり ふたんじゅぜほうとは りゃっかいの しょほうじっそうの ほったいを ききて そのまま かいご するなり さて しんしそんじゃ どんこんの ために ふんべつ げせつ したまえと こう こうかい3の ほうもんをば ふたんじゅぜほうと とく さて ほっけの じつぎに かえりて みれば みょうほうの ほったいは さらに のうじゅ しょじゅを わすする なり ふしぎの みょうほう なり ほんぽうの おもきを さとりて みる ゆえに ししゅむしようと いうなり かかるないしょうは じゅんいちじっそう じっそうげきょうむべっぽう なれば ゆいうしょじょうじつ なり いわゆる じょうじつとは しきしんを みょうほうと ひらく ことなり いま にちれん とうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつる ところを ゆいうしょじょうじつと とくなり しょとは しょほうじっそうの ほとけ なり しょは じっかい なり じょうじつは じっかいの しきしんを みょうほうと いうなり こんきょうに かぎる ゆえに ゆいと いうなり 5000の じょうまんの ほか まったく ほけきょう これ なし 5000の まんじんとは われらが 5だい なり 5だい そく みょうほうれんげきょう なり 5000の じょうまんは がんぽんの むみょう なり ゆえに らいぶつにたい なり これは くしき はっしき ろくしきと くだる ぶん なり るてんもんの だんどう なり ぶついとくこ とは げんめつもん なり しからば いとくとは なんみょうほうれんげきょう なり ほんめい ほんごの ぜんたい なり よくよく これを あんずべし うんぬん だい6 にょがとうむい にょがしゃくしょがんの こと しょに いわく いんを あげて しんを すすむと おんぎくでんに いわく がとは しゃくそん がじつじょうぶつ くおんの ほとけ なり この ほんもんの しゃくそんは われら しゅじょうの ことなり にょがの がは じゅうにょぜの まつの しちにょぜ なり きゅうかいの しゅじょうは はじめの 3にょぜ なり われら しゅじょうは おや なり ほとけは こ なり ふし いったいにして ほんまつくきょうとう なり この われらを じゅりょうほんに むさの さんじんと ときたる なり いま にちれんとうの たぐい なんみょうほうれんげきょうと となうるもの これなり ここを もって これを おもうに しゃくそんの そうべつの 2がん とは われら しゅじょうの ために たてたもう ところの がん なり この ゆえに なんみょうほうれんげきょうと となえ たてまつりて にほんこくの いっさいしゅじょうを われが じょうぶつ せしめんと いう ところの がん しかしながら にょがしゃくしょがん なり ついに いんどうして こしんと わごう するを こんじゃいまんぞくと こころう べきなり この こんじゃいまんぞくの いの じ すでにと よむなり いずれの ところを さして すでにとは とけるや およそ しょしゃくの こころは しょほうじっそうの もんを さして すでにとは いえり しかりと いえども とうけの りゅうぎとしては なんみょうほうれんげきょうを さして こんじゃいまんぞくと とかれたりと こころう べきなり されば この にょがとうむいの もん かんよう なり にょがしゃくしょがんは ほんいんみょう にょがとうむいは ほんがみょう なり みょうかくの しゃくそんは われらが けつにく なり いんがの くどく こつづいに あらずや しゃくには こいんかんしんと こいんは すなわち ほんが なり いま にちれんが となうる ところの なんみょうほうれんげきょうは まつぽう 1まんねんの しゅじょう まで じょうぶつ せしむるなり あに こんじゃいまんぞくに あらずや いとは けんちょう 5ねん 4がつ 28にちに はじめて となえ いだすところの だいもくを さして いと こころう べきなり みょうほうの だいりょうやくを もって いっさいしゅじょうの むみょうのたいびょうを じせん こと うたがい なきなり これを おもいやる ときんば まんぞく なり まんぞくとは じょうぶつと いう ことなり しゃくに いわく 「えんは えんゆう えんまんに なづけ とんは とんごく とんそくに なづく」 と これを おもうべし うんぬん だいしち おしょぼさつちゅう しょうじきしゃほうべんの こと もんぐの 4に いわく おしょぼさつちゅうの しもの さんくは ただしく じつを あらわす なり 5じょうは これ きょくにして ちょくに あらず つうべつは へんぼうにして しょうに あらず いま みな かの へんきょくを すてて ただ しょうじきの いちどうを とくなりと おんぎくでんに いわく この ぼさつとは 9かいの だい9に こしたる ぼさつ なり また いっさいしゅじょうを ぼさつと いうなり いま にちれんとうの たぐい なり また しょてんぜんじん とうも これ ぼさつ なり しょうじきとは ぼんのうそくぼだい しょうじそくねはん なり さて いちどうとは なんみょうほうれんげきょう なり いま まっぽうにして しょうじきの いちどうを ひろむる ものは にちれん とうの たぐいに あらずや だい8 とうらいせあくにん もんぶっせついちじょう めいわくふしんじゅ はほうだあくどうの こと おんぎくでんに いわく とうらいせとは まっぽう なり あくにんとは ほうねん こうぼう じかく ちしょう とう なり ほとけとは にちれん とうの たぐい なり いちじょうとは みょうほうれんげきょう なり ふしんの ゆえに さんあくどうに だす べきなり (いか、おんぎくでん じょうの ひらがなやくを しょうりゃく します). 南北朝が統一された後1400年建てられておりそれから約200年間鳥居は大木を用い朱塗りと金で飾られ美しかったようだが1645年に石造りに改められ松花堂昭乗の門人、法童坊孝以の筆によって、源家の霊を崇め、武門繁栄の祈請文が記された。
げどうが ぶっきょうを そしり しょうじょうが だいじょうを そしり. 京都府八幡市、石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)三ノ鳥居(さんのとりい)は男山山頂の神馬舎前にある。
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